新緑

東国原効果

higashikokubaru

今年も宮崎に行ってきた。いつもフェリーを利用しているが夏休みということもあってかかなり混雑。予約は満杯で予約待ちのようす。ぼくは1ヶ月ほど前に予約しておいたのでよかったのだが・・・・

船内に東国原という銘柄の焼酎のポスターを見つけた。おそらくこれも宮崎県知事の名前にあやかってのことにちがいない。

宮崎港に着くと岸壁の駐車場にはホテルや旅館からの出迎えのバスがズラリと並んでいた。これまでになかったことだ。観光客はかなり増えているようにみえた。

フェリー乗り場まで迎えにきてくれたHさんにいろいろ話を聞かせてもらった。東国原知事になって予算がかなり抑制されたために、今年のうちに終わる予定だった工事がストップしてしまって(Hさんは)困っているところもあるけれど、そういうことはともかくとして、宮崎県人で東国原知事のことを悪く言う人はいないとのこと。そりゃそうだ、90%以上の支持率だということだから当然だろう。

マンゴー農家は笑いが止まらないそうだ。これまでの倍の値段で取り引きが成立し、ほとんどが大都市に行ってしまって、ふだんなら近くの農家からのいただきものがあるのだが、今年はぜんぜんまわってこないとのこと。ちなみに宮崎県内のお店で売られているマンゴーは鹿児島県のものがほとんど。しかも値段はというといつもどおり。つまり、同じマンゴーなんだけど宮崎県産というだけで倍の値段になっている。これはたしかに東国原効果。

このマンゴー、インドが原産地であることからわかるように、栽培には温度がかなめとなる。なんでも25度を維持しなくてはならず、夏場でも夜は重油を焚いてマンゴーハウスを加温するのだそうだ。1反(10a)あたり年間120万円もの燃料代がかかるという。ここんところ石油がどんどん値上がりしているから、その影響をもろに受けているのだろうが、マンゴーの値段と売れ行きがそれを上まわっているからいいのだろう。しかしこの東国原効果・・・・いつまでつづくのかな?

このマンゴーの価格、とうぜん悪い輩もでてくるというもの。ハウスの道路側はほぼ問題ないが、反対側でビニールをカッターで切られて侵入され、マンゴーを持って行かれた農家もあると言っていた。それだけでなく、最近は見慣れない車が人気のない畑に近い道路に停まっているのが目に付くという。農道とはいえみんなの道だからとやかく言うことはできないが、心配の種が増えたということだ。これも東国原効果か・・・・
 
 
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敗戦の日に その3

<衆議院議長 河野洋平>

天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の詞を申し述べます。

戦後途絶えることなく続けられてきたこの式典も、本日で五十九回目を数えます。
この日を迎えるたびに、あの悲惨な戦争の記憶が甦り、犠牲になった方々の無念が改めて胸に迫ります。私はここに改めて、数多くの戦没者のみ霊に哀悼の誠を捧げます。

同時に、あの戦争とそこに至る道のりにおいて耐え難い苦しみを受け、命をなくされた多くの人々、とりわけ中国をはじめとするアジアの近隣諸国の人々にも私たちの深い祈りを捧げたいと思います。

戦禍に散った三百万余りの魂は、日本の平和と家族の幸福を願いつつ、尊い命を捧げ、あるいは奪われてゆかれました。戦没者の方々は、あの時、将来に向けてどのような日本を思い描きつつ、その命を引き替えにされたのでしょうか。ひるがえって、今日、私たちは亡くなられた方々が瞼の裏に見た新生日本の姿を、裏切らずに忠実に造り上げているだろうか、尊い犠牲を無にしているようなことはないだろうか、という不安が時折、よぎります。
今なお世界各地でテロや紛争が後を絶ちません。イラクやアフガニスタンあるいはパレスチナをはじめとする平和を失った地域の人々が、再び安寧と秩序を取り戻し、平和を分かち合えるように、私たちはこれからも力を尽くして参りたいと考えます。日本が平和であることに安住するのではなく、平和な世界の建設に、国際社会の一員としての役割をしっかり果たしていくことが、戦禍に散った犠牲者の尊いみ霊に報いる途であると思います。
先の世紀に二度に亘り世界大戦の戦場になった欧州は、いまや国と国の垣根を取り払い、諸民族の和解と法の支配の基礎の上に地域統合への力強い一歩を踏み出しました。そのような欧州の今日の姿は、人類の英知の輝きでもあります。そして、それは、我々アジアが歩むべき道を示していると考えます。

日本国民があの戦争の歴史を忘れ去ることのないように今日のこの日があります。敵味方に分かれて戦って、そして亡くなられた全ての犠牲者の方々、また戦中戦後を通じて大きな苦しみを受けてきた全ての人々のために、この日を捧げたいと思います。そして、戦争の悲惨さを忘れず、そのことを平和な未来の建設に役立てていくこと、政府の行為によって再び惨禍が起こることのないよう決意を新たにし、国政に取り組んで参りますことをお誓い申し上げます。

おわりに、全ての戦没者のみ霊がとこしえにやすらかならんことをお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様の平安とご健勝を心より祈念して、私の追悼の言葉とさせていただきます。


個人的な感想・・・・・・・

はっきり言って、目をウルウルさせながら読んだね。河野洋平さん、あんたエエ人やな。くさった自民党にいるのが惜しいわ、ほんとに。とくに以下のくだり「戦没者の方々は、あの時、将来に向けてどのような日本を思い描きつつ、その命を引き替えにされたのでしょうか。ひるがえって、今日、私たちは亡くなられた方々が瞼の裏に見た新生日本の姿を、裏切らずに忠実に造り上げているだろうか、尊い犠牲を無にしているようなことはないだろうか、という不安が時折、よぎります」を読んだときには、心にジーンと響いたね。天皇の文章をだれが書いたのか知らんけど、天皇のスピーチや、厚生労働省の役人が書いた安倍晋三の式辞にくらべたら、人間のことばというか、ほんとうに無念の中に亡くなっていった人たちの思いをしっかりと受け止めて自分のことばで語っているように思えたね。「日本国民があの戦争の歴史を忘れ去ることのないように今日のこの日があります」・・・ほんとにそうだ。ほんとにそうだ。われわれはあの戦争の歴史をねじまげることなく、まっすぐ見つめて、そのまま受け止めて、決して忘れることがないように、敗戦の日を覚えなければならないと思う。戦争が終わった日ではなく、戦争に負けた日として。


<参議院議長 江田五月>
ネットのなかに見つけることができませんでした。
 
 
by customlegend  at 21:40 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

敗戦の日に その2

<内閣総理大臣 安倍晋三>

天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族および各界代表多数のご列席を得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

先の大戦では、300万余の方々が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地に亡くなりました。また、わが国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。

終戦から62年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。世界中の各国・各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えてくれていることも忘れてはなりません。

私たちは、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承する責任があります。

本日、ここに、わが国は、戦争の反省を踏まえ、不戦の誓いを堅持し、世界各国との友好関係を一層発展させ、国際社会の先頭に立ち、世界の恒久平和の確立に積極的に貢献していくことを誓います。国際平和を誠実に希求する国家として、世界から一層高い信頼を得られるよう、全力を尽くしてまいります。

終わりに、み霊の安らかならんことと、戦没者ご遺族の今後のご平安とご健勝を心からお祈り申し上げて式辞といたします。


個人的な感想・・・・・・・

天皇とはちがってとりあえず「とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します」と言って、アジアの人々への言及があったのは合格。しかしなぁ〜「私たちは、過去を謙虚に振り返り」と言ってはいるものの、あんた、どれだけ謙虚に振り返ってんのかね。まったく・・・日ごろのあんたの言動とはぜんぜんちがうね。こういうときだけ美辞麗句をならべたってだめだよ。それに戦後レジュームからの脱却とかわけわからんこと言って「悲惨な戦争の教訓を風化」させてる張本人はあんただろ。しかも戦争を美化し、侵略戦争を正当化して「美しい日本」を次の世代に継承させようとしている安倍さん。あんた頭おかしいよ。それから、この文章を作文したのは厚生労働省らしいけど、最初の文章には「不戦の誓いを堅持」するっていうことばがなかったらしいじゃないか。あとでそれに気がついて入れたっていうから、それはまぁいいとして、厚生労働省のバカ役人たちは、ほんとに犯罪人ぞろいだからな、即刻クビにせなあかんぞ。「国際社会の先頭に立」ってとか言うけど、アメリカのしっぽについていくことしかできんのに、何が国際社会の先頭やねん。アホちゃう?「世界の恒久平和の確立に積極的に貢献」って、自衛隊をそこらじゅうに派兵するってことかい?もうそんなん時代遅れだよ。早く責任とって総理大臣やめなはれ。
 
 
by customlegend  at 21:39 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

敗戦の日に その1

今日、敗戦の日に開かれた政府主催の全国戦没者追悼式で語った3人のスピーチをあらためて読んでみましょう。

<天皇>

本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

終戦以来既に62年、国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、苦難に満ちた往時をしのぶとき、感慨は今なお尽きることがありません。

ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。


個人的な感想・・・・・・・

ま、天皇の言うことだから、この程度だとは思うけど、なんだかやっぱり他人事のような感じだね。「深い悲しみを新たにいたします」・・・遺族に対してはやっぱり「ごめんなさい」と言うべきだろ。悲しんでいるのは遺族であって、あんたが悲しんでどうすんの。「感慨は今なお尽きることがありません」って、なに感慨にひたってんの・・・?「歴史を顧み」たら、その歴史から何を学んでいるのかちゃんと言わなきゃ。歴史を顧みて感慨にひたってるだけじゃあかんだろ。それに、とりあえず世界の平和を祈ってはいるものの、アジアを侵略し、日本がしかけた戦争で死んでいったアジアの人々に対しての反省がないのは、ちょっと減点だね。ま、だれが作文してんのか知らんけど、もう少し考えてもらわなくちゃ。
 
 
by customlegend  at 21:38 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

終戦じゃないぞ

そういえば「玉音放送」といえば「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび・・・」の部分しか聴いたことがないな・・・と思い、いまいちど聴いてみようと思ってググってみた。いや、けっこういろいろあるもんだ。

これがおすすめ ↓
http://www.youtube.com/watch?v=DbF8veXd3lY

この玉音放送・・・神の声の放送というような意味だそうだが、放送のなかで昭和天皇が読んだ文章は「終戦の詔勅」というもの。聴くだけでなく、あらためてじっくり読んでみようと思ったが、これまたむずかしい。「これ、日本語か?」と思ってしまう。

さわりを少し・・・

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

テンもマルもなく、ただひたすら漢字とカタカナが並んでいるだけの文章。どこで息つぎしたらいいものやら・・・。おおよそ一般人が読むようなものじゃないことだけは確かだ。そりゃそうだ、天皇は一般人じゃないものな。日本国民でもないぞ。なにしろ税金も払わない、年金もおさめない、選挙権もない、ほとんど非国民だものな。

ま、それはともかくとして、以前からおかしいと思っているのは「終戦」ということば。

陸海空軍を総攬する天皇(大日本帝国憲法)が戦争を始めたのだから、天皇が終わらせるというのはしごくもっともな話。天皇にしてみたらたしかに「終戦」にちがいない。ただ、8月15日のたびにテレビや新聞が「終戦記念日」というのにはなんとも違和感を感じる。

「終戦」じゃないぞ「敗戦」だぞと。

「終戦」ということばのもつ響きは、「戦争が終わった」という国民のホッとした素朴な安心感を感じさせる。もちろんぼくは戦中派ではないから分かるわけもないが、おそらくあのたいへんな時代を生きた人々はだれもが「やっと戦争が終わってくれた」と思ったんじゃないかと想像する。まさか口にだして「ばんざ〜い」とは言わなかっただろうが、おそらく心のなかでは「戦争が終わった・・・ばんざ〜い」と叫んだにちがいない。

ところがだ。国政をあずかる政治家たちが「終戦」ということばを使うとき、そこに他人事のような無責任さを感じてしまう。

たとえば引っ越しをするときによく日本人は「このたび引っ越すことになりました」と言う。おそらく違和感を感じないと思うが、これをそのまま英語で言おうとするとむずかしい。たぶんアイ ウィル ムーブ・・・私は引っ越しますとなるんじゃないだろうか。つまり引っ越すという行動に自分の意思が明確にあらわれるんだけど、「引っ越すことになりました」という表現には自分の意思というよりも、外部のなんらかの力に影響されて・・・というようなニュアンスが見え隠れしている。

これは日本語の特徴ともいえるけれど、ストレートに自分の意思を表現しないで、やんわりと伝えるまことにうまい言い回しともいえる。この日本語の表現方法自体になにか問題があるわけではないんだけど、なんだか無責任なことばの響きを感じるんだな。

「戦争が終わりました」・・・たしかにこれは事実なんだけど、なんだか他人事のような感じがしないだろうか。「戦争に負けた」という事実をしっかりと見つめようという謙虚な姿勢が感じられず、「負けた」という事実から目をそむけ、不幸な過去を忘却のはてに追いやってしまいたいというようなニュアンスが感じられるのだ。

そして、あえて「終戦」ということばを使うことで、「負けた」事実に目を向けさせないようにさせる意図が感じられてならない。おそらくテレビ局も、テレビ局の人間も、そこにでてくるアナウンサーはじめコメンテーターも「どこぞ」から「敗戦」ということばを使わないで「終戦」というようにと指示されているのではないか。もちろん新聞記者もね。

マスゴミの威力は絶大だ。毎年「終戦」と言い続けることで「敗戦の事実」を見えなくさせようとしているにちがいない。だからこそ、マスゴミと関係ない者はあえて「敗戦」と正しく表現することで、不戦の誓いをあらたにすべきなのだ。

ちなみに「終戦記念日」と「敗戦記念日」をググってみたら検索結果は・・・・

  「終戦記念日」・・・1,810,000
  「敗戦記念日」・・・  985,000

およそ2対1のヒットだった。もっと差が開いているかと思っていたのだけれど、意外と「敗戦記念日」も健闘している。もうひとつ「終戦」と「敗戦」をググってみたら検索結果は・・・・

  「終戦」・・・3,690,000
  「敗戦」・・・3,970,000

なんと、「敗戦」のほうが多い。もちろんこれはアジア・太平洋戦争についてだけじゃなく、スポーツ関係のサイトも含まれているからあまり当てにはならないが、それでも「終戦」じゃなく「敗戦」だぞという人の声が意外とあることがうれしい。

 
by customlegend  at 17:31 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

大掃除

keyboard

急にパソコンの調子が悪くなってしまいました。

 Ν  のキーが反応しなくなってしまったのです。

たかが Ν されど Ν・・・Νの使用頻度ってけっこうあるんですよね。ちなみに「社団法人全国愛農会」を打ち込んでみると・・・・「しゃだほうじぜこくあいおうかい」となります。「ん」はもちろんのこと「なにぬねの」「にゃにゅにょ」が入力できません。ちなみにこの文章はATOKのクリックパレットという機能を使って入力しています。一文字ずつ・・・。

物理的に何か引っかかっているんじゃないかと思って掃除をすることにしました。

keyboard-before before

keyboard-after after

gomi でてきたゴミ

きれいにはなりました。しかし直りませんでした。しかたがないので来週月曜日から愛用のパソコンを入院させることにしました。

あ、よい子は真似をしないようにね・・・・
 
 
by customlegend  at 22:59 |  こだわり |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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とにかく自分でやれることは何でも自分でやってしまいたい。だから何でも自分でやれるようになるので、人からは器用な人だとうらやましがられるが自己評価は器用貧乏。有機食品の認証業務の仕事をしています。

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