新緑

真理を知らない者はただの馬鹿者だ。

だが、真理を知っていてそれを虚偽という者は犯罪人だ。


                  B.ブレヒト
by customlegend  at 03:39 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

謝罪と赦免

英国の奴隷貿易廃止200周年だということをTBSの「ニュース23」の特集で知りました。なんでも、200年たってようやくここにきて「謝罪すべきだ」、「謝罪すべきでない」という議論がイギリス国内でおこっているのだそうです。

<謝罪すべきでない>という立場の人
・過去と現在のわれわれとどういう関係があるのか
・奴隷制度は決して悪いことばかりではなかった

「奴隷制度について謝罪すべきだという人は、奴隷制度のことをよく理解していないからだ」とインタビューに答えている人がいました。その人は奴隷貿易で多大な利益をあげた一族の末裔でした。

<謝罪すべき>という立場の人
・過去と現在は切り離されているのではなくつながっている
・過去の栄光をほめたたえるのと同じように、負の面についても誠実に向き合わなければならない

謝罪すべきと主張している急進派のグループは軛(くびき・・・・車の轅(ながえ)の先端につけて、車を引く牛馬の頸の後ろにかける横木・・・・奴隷を拘束するのに使われた道具)を首につけて各地で謝罪行脚をおこなっているという様子がテレビで流れていました。

奴隷貿易の拠点都市のひとつだったリバプールの市長は公に謝罪しました。ところが同じく奴隷貿易の拠点都市だったブリストルでは、謝罪すべきではないという市民がほとんどなのだそうです(ところが少しずつではあるけれど謝罪すべきだという声もあがってきているということでした)。

ブレア首相はガーナのエルミナでの奴隷貿易廃止記念式典にビデオメッセージを寄せ、 奴隷貿易を「歴史上最も恥ずべき企ての一つだ」と強調し、「この機会に英国は深い悲しみと遺憾の意を表明する」と述べましたが、公式謝罪ではありませんでした。

それに対してリビングストン・ロンドン市長は「公式謝罪をしない英国政府の姿勢は卑しい」と批判し、英国国教会のヨーク大主教なども謝罪が必要だと主張したということです。さて、奴隷貿易の最大の被害国といわれるガーナの首相は次のように語りました。

「私たちは謝罪を求めたいと思っていない。過去から学んだら、前進しなければならない」

テレビを見ながら、「このガーナの首相はすごいな・・・・」と思ったのでした。


かたや日本では・・・・

敗戦時の沖縄の集団自決について、日本軍によって強制されて集団自決したと教科書に書かれていることについて文部科学省は教科書検定をした結果、「強制」という記述を認めなかったのだそうです。


以下、NIKKEI NET から無断で転載
文部科学省が30日に検定結果を発表した高校2・3年生向け教科書では、太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決について、旧日本軍が自決を強制したとする記述が認められなくなった。「軍の命令があったかどうかはっきりしていないため」(文部科学省)という。昨年まではこうした記述に意見は付いていなかった。

過去の問題を扱うのということはホント、むずかしいですね。いろんな意見、考え方がありますよね。

しかし、過去の罪責を潔く謝罪する人を見ると爽やかさを感じます。また「過去の罪責は赦しました、もうそんなことは忘れましょう」という人を見ると心が温かくなります。逆に、過去の罪責について「もうそんなことはいいじゃないか」という人を見ると、「あんたは何もわかっていない」と思いますし、過去の問題にいつまでもこだわって「ぜったいに赦せない」という人を見ると悲しくなります。

謝罪と赦免・・・・このふたつがなければうまくいかないのではないでしょうか。個人レベルであっても、国家レベルであっても同じだと思います。
by customlegend  at 03:30 |  こだわり |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

ある人が賢者に聞いた

「真理がどこにでもあるなら、道に落ちている石のようにありふれたものでしょうか」

「そのとおりだ。だから誰にでも拾うことができる」

「ではどうして人々は拾わないのでしょう?」

「真理という石を拾うには身をかがめなければならない。難しいのは身をかがめることなのだ」


                                      ユダヤの格言
by customlegend  at 02:45 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

慰安所経営の一般人も合祀

慰

昨日のエントリー「やっぱりウソはいかんわな・・・・」で靖国神社のA級戦犯合祀に国が関与していたというニュースについて触れたが、なんと東京新聞にはもっとすごい記事が掲載されていた。(以下、無断で転載)

慰安所経営の一般人も合祀

日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営し、BC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が一九六七年に合祀を決めていたことが二十八日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、これに先立ち、慰安所経営者の合祀に関与していたことになる。

靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人を合祀する方針を決めていたことが判明したのは初めて。

この報告書は、六七年五月九日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。それによると、会議では、厚生省側から合祀事務の担当課長以下七人、神社側から担当の権宮司ら二人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。

このうち「法務死亡者(一般邦人)」は「合祀する」とされ、その中に「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑十年受刑中病死)」という人物が含まれていた。

BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は四三年九月から四五年九月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所を経営していた実在の日本人。欧州系の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。四六年十一月末から現地で服役していたが、翌月末に病死した。

財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」による「『慰安婦』問題調査報告」は、同クラブを「一般邦人向けの慰安所」とする一方、「経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになった」と日本側の関与を指摘。「逃げ出そうとした女性は直ちに官警に逮捕され短期拘置された」「軍は設置や規則に関与していた」と記している。

ただし、軍が組織として設置したり、将兵たちが使う目的で設けられたものではないという。

■戦争貢献、国が認定

BC級戦犯裁判や慰安婦問題に詳しい林博史関東学院大教授(現代史)の話 記載された男性はバタビアで慰安所を経営していた人物に間違いない。靖国神社の合祀対象は戦争に協力した人物であることが建前。慰安所経営者が、戦争に貢献したことを国が堂々と認めている。旧厚生省が「慰安所を経営してくれてありがとう」と言っているようなもので、重大な事実だ。こうした例があるということは、ほかにも慰安所経営者が合祀されている可能性がある。


この記事は「慰安所経営の一般人も靖国神社は合祀していた」ということが靖国神社の記録によって明らかになったということを伝えているのだが、もうひとつ気がつかなければならないのは、一般邦人向けの慰安所でありながら、その経営者が靖国神社に合祀されているということの意味だ。

ご存じのように、靖国神社は「近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において、朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を、顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る神社」だ(Wikipediaより)。

靖国神社に合祀されるとは「日本の為に命を捧げた」英霊になることを意味しており、ただたんに死んだだけでは決して合祀されることはない。もちろん戦渦に巻き込まれて死んだとしてもである。したがって合祀されるための基準というものがちゃんと定められている。

合祀対象者

<軍人・軍属>
1)戦地、事変地、および終戦後の各外地において戦死、戦傷死、戦病死した者
2)戦地、事変地、および終戦後の各外地において公務に基因して受傷罹病し、内地に帰還療養中に受傷罹病が原因により死亡した者
3)満州事変以降、内地勤務中公務のため受傷罹病し、受傷罹病が原因で死亡した者
4)サンフランシスコ講和条約第11条により死亡した者(戦争裁判受刑者でABC級に関わらず死刑になった者)
5)「未帰還者に関する特別措置法」による戦時死亡宣告により、公務上負傷や疾病にかかりそれが原因で死亡したとみなされた者

<準軍属およびその他>
1)軍の要請に基づいて戦闘に参加し当該戦闘に基づく負傷または疾病により死亡した者(満州開拓青年義勇隊員等)
2)特別未帰還者の死没者(シベリア等に抑留中死亡した者等)
3)国家総動員法に基づく徴用または協力者中の死没者(学徒・徴用工・女子挺身隊員等)
4)船舶運営会の運航する船舶の乗務員で死亡した者
5)国民義勇隊員でその業務に従事中に死亡した者(学域組織隊等)
6)旧防空法により防空従事中の警防団員
7)交換船沈没により死亡した乗員(つまり「阿波丸事件」による死亡者)
8)沖縄の疎開学童死没者(つまり「対馬丸」による死亡者)
9)外務省等職員(関東局職員・朝鮮総督府職員等)

これらを見て分かるように靖国神社の英霊になるには、それはそれは高いハードルがあるのだ。戦後に殉職した自衛官、海上保安官、政府職員などは決して靖国神社の英霊になることはないほど難しいのだ。

ではなぜ「一般邦人向けの慰安所」の経営者が靖国神社に合祀されて英霊になることができたのか・・・・。少なくともこの厳しい基準をクリアしていると厚生省(当時)と靖国神社が判断したからであることは間違いない。軍人・軍属にはあたらないから「準軍属およびその他」になるのだろうが、いずれにしても<軍の要請>があって戦争に貢献し死亡した者でなければ合祀されることはないわけだから、この慰安所が<軍の要請>のもとに存在したということを厚生省が、すなわち国が認めたということなのだ。

もう「政府または軍による強制連行を示す証拠がない」とか、「直接的な軍の関与はなかった」などと妄言を吐いて事実をねじまげようとするのはやめにしてもらいたい。
by customlegend  at 21:47 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (1)  |  page top ↑

神のもとには大きなものも小さなものもありはしません。

人生においてもまた、大きなものも小さなものもありはしません。

あるものはただ、まっすぐなものと曲がったものだけです。


                    トルストイ
by customlegend  at 00:24 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

やっぱりウソはいかんわな・・・・

天

靖国神社のA級戦犯合祀に国が関与していたというニュースが流れた。

国立国会図書館は3月28日、靖国神社が提供した内部資料や、これまで非公開だった中曽根内閣当時の「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)の議事録など、靖国神社に関する資料集を公表した。靖国神社が昭和44年、「A級戦犯」を「合祀(ごうし)可」とする見解を示す文書を厚生省に提示するなど、戦後、両者が一体となり合祀を進めてきた過程が明らかになった。

<中略>

国立国会図書館が公表した「新編靖国神社問題資料集」は、戦後、国(厚生省)と靖国神社が一体となって「A級戦犯」を含む戦没者、戦犯刑死者の合祀に努力してきたことを裏付けるものだ。


 (以上、Sankei WEB から勝手に転載)

A級戦犯合祀の経緯について政府はこれまで「承知していない」との立場を取ってきていたのに、今回公開された靖国神社の内部資料でこうした説明がじつはウソだったことが判明したことになる。

ところが安倍おぼっちゃまは・・・・

「問題ない。合祀を行ったのは神社だ。(旧厚生省は)情報を求められ(資料を)提出したということではないか」と述べて、憲法の政教分離原則には抵触しないとの見解を示したんだって。そりゃそうだわな。ウソをついたら最後までつきつづけるというのが政治家であり官僚だもんね。でも開いた口がふさがらんわ・・・・(-.-#)

しかも今回でてきたのは靖国神社側の資料で、厚生省側のものはというと「ない」のだそうな。そりゃそうだわな。自分たちに都合の悪いものは隠すわな。官僚はいかにしたら自分たちが責任をとらなくてすむか分かってるしな。官僚は頭がいいからな・・・・(-.-#)

韓国政府は・・・・「日本政府がこれ以上真実をごまかさず、正しい歴史認識のもとで責任ある措置を取るよう望む」との声明を出したんだそうだけど、そりゃそうだわな。当然だわな。ウソはいかんわな。

慰安婦についても安倍おぼっちゃまは「従軍慰安婦が軍の狭義な意味での強制によるものではなかった」とのたまわっとるし、ほんま開いた口がふさがらんわ。臭い物には蓋をしてしまえば大丈夫とでも思ってるんやろか。

日本の伝統的な倫理観に「お天道さまが見ておられる」っていうのがあるけど、せめてそれくらいの感覚があってもいいんじゃないのかなぁ。そういうところにこそ安倍おぼっちゃまが言うところの「美しい日本」が育っていくんじゃなかろうかと思う今日このごろ。

はぁ〜〜っっっ(x_x)
by customlegend  at 00:22 |  政治・経済 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

信用は鏡のガラスのようなものである。ひびがはいったら元通りりにはならない。

                          アンリ・フレドリック・アミエル
by customlegend  at 23:50 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

「ごめんなさい」でおしまい???

今日、わたしが加入している某保険会社から手紙がとどいた。その手紙の内容は・・・・

 お客様情報の不正持ち出しに関するお詫びとお知らせ

拝啓
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
 さて、去る3月12日(月)に弊社ホームページに、また翌13日(火)に全国主要新聞紙上に、弊社よりお詫びとお知らせを掲載させていただきましたとおり、弊社がダイレクトメール発送業務を委託しております大日本印刷株式会社において、ダイレクトメール作成のために、弊社が同社に預託したお客様情報の一部が同社の業務委託先の元従業員により不正に持ち出されていることが判明いたしました。

 現在までのところ、該当する情報が、さらに第三者に流出した事実や不正利用されるなどの二次被害は確認されておりません。
 弊社と致しまして、業務を委託する先に対する管理責任をもつ立場として、今回判明した事態が、お客様に大変ご迷惑とご心配をおかけいたしますことを深くお詫びを申し上げます。
                                     敬具

                       記
1.不正に持ち出されたお客様情報の内容(****年*月〜****年**月時点の情報)
今回不正に持ち出された情報の内容は、以下の通りです。
・お客様 ○○○ ○○○○様の
 氏名、住所、電話番号、性別、生年月日、保険料


大日本印刷の従業員が持ち出した個人情報約864万件が漏えいしたことはテレビのニュースを見ていて知っていました。そのとき漏洩した情報のクレジットカード会社の名前も出ていましたから自分のもっているカード類がそれに当たるかどうか確認してみたところありがたいことに含まれていませんでした。ホッと胸をなでおろしたのでした。

ところがとつぜん舞い込んできたこの手紙・・・・クレジットカードではありませんでしたが、ダイレクトメールの発送業務を外注委託していたことで、発送に関係する情報が漏れ出てしまったようです。で、思ったこと・・・・

1) まずはこのようなかたちできちんと詫び状が届いたことは評価できる・・・

2) しかしなぜダイレクトメール発送に「性別」と「生年月日」と「保険料」が必要なん?

3) でも、この手紙でおしまい???情報を漏洩されたら被害者は泣き寝入りしなくちゃいけんの?

4) 実質的には金銭的な被害を受けていないから損害賠償を請求することはできなさそうだけど・・・

5) だけど、個人的な情報が漏洩されたという被害に対しては、「ごめんなさい」でおしまいになっちゃうの???

6) 個人情報保護法ってのは、こういうとき何の役に立つの???

・・・・と、やり場のない怒りを感じたのでした。
by customlegend  at 23:34 |  こだわり |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

昨日は演奏会でした

昨日は私が所属している地元のオケ=伊賀コミュニティーオーケストラの演奏会でした。いわゆる定期演奏会ではなく、団員によるアンサンブルとオーケストラの演奏の2部構成になるものです。私が出演したのは3回。
これはバッハ作曲の2つのバイオリンのための協奏曲の2楽章。バイオリン2本と通奏低音(チェロ+チェンバロ)
Doppel_Konzert_2m

これはハイドン作曲のロンドントリオ第1番ハ長調。バイオリン2本とチェロ
Hydn_London_trio

そして最後はベートーベンの交響曲第2番の第1楽章。なかなかいい演奏会でした。
Beethoven_2-1

by customlegend  at 00:09 |  音楽 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

老子 第78章

世の中に水ほど柔らかでしなやかなものはない。

しかも堅くて強いものを攻めるには、これにまさるものはないのだ。

何物もその本性を変えるものはないからである。

しなやかなものが強いものに勝ち、柔らかいものが堅いものに勝つことは、世の中で誰も知らぬ者がないのに、誰も実行しうる者がない。

だから聖人の言葉に、国の汚辱を引き受けるもの、これを国の主といい、国の不幸を引き受けるもの、これを世界の王者という、とあるが、
本当に正しい言葉は、一見、真実とは反対のように聞こえるものである。
by customlegend  at 12:00 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

隠ぺい

最近、ニュースをにぎわしている問題のひとつに志賀原発の臨界事故・隠ぺい工作があります。もうすでに何度もテレビのニュースに流れていますが、読売新聞オンラインから勝手にコピペさせてもらいます。

原子力発電所の臨界事故隠しや制御棒の脱落事故などが相次いで発覚した問題で、電気事業連合会の勝俣恒久会長(東京電力社長)は23日の記者会見で、「電力業界の信頼を損なったことを重く受け止め、謝罪したい」と陳謝した。

勝俣会長は、法令順守や情報公開の徹底など電力業界を挙げて再発防止に取り組む方針を示した。しかし、プルトニウムを原発で再利用するプルサーマル計画の継続が困難となるなど、原発に対する国民の信頼を失った影響は深刻だ。

記者会見で勝俣会長は「ルールを作っても組織全体に浸透させる難しさと責任を痛感する」と述べ、電力業界の社内風土にも問題があったとの認識を示した。

東電福島第1原発で78年に制御棒5本が脱落した問題については「操作ミスの可能性が高い。他社との情報共有も欠けていたと反省している」と謝罪した。


隠ぺい・・・・すなわち「隠す」あるいは「隠れる」ということですが、その本質は何でしょう?聖書のいちばん最初に創世記がありますが、そこに人類の始祖アダムとエバの話が書かれています。彼らは「食べてはいけない」と神から釘をさされていた禁断の木の実を食べてしまいます。そしてその実を食べたのち、彼らは神から隠れました。自分のしたことを隠そうとしたのです。

<隠ぺい>の本質は「罪の自覚」にあります。これは人間の本質ではないでしょうか。どんなに小さな子どもでも・・・・といったら語弊がありますが・・・・悪いことをしたと自覚したときは必ずウソをつきます。ウソをついてその罪を隠そうとします。だれも教えなくても必ず隠そうとします。調べたわけではありませんが、100人が100人同じようにするでしょう。人間はそのようにつくられているといっても過言ではありません。

あるニュース番組のキャスターはこんな発言をしていました。「どうしてこんな(隠ぺい)をするんでしょう・・・・」。理由は明白です。彼らが罪を自覚しているからです。どんなに「原子力発電は安全です、安全です」と繰り返してもまったく意味がありません。繰り返せば繰り返すほど、じつは原子力発電は安全ではないことを自白しているようなものです。なんども繰り返すことによって安全だと思い込みたい、思い込ませたいだけなのです。しかし実はまったく安全ではないのです。

彼らは自覚しているのです。「原子力発電は安全だ」と言いながらじつは安全ではないことを。だから事故を隠ぺいするのです。罪を自覚しているがゆえに。

安全ではない原子力発電を、間違いだらけの人間が運用しているのですから、人間が安全ではない原子力発電をさらに安全じゃなくしています。こんなに危ない構造をどうして許しておけるのでしょうか。政府はなぜ推進しようとするのでしょうか。

この原因も明白です。そこに利益があるからです。一部の人間の利益のために圧倒的な多数の安全がおびやかされています。こんなことがまかり通っていていいのでしょうか!
by customlegend  at 22:07 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

新たな農地改革

「政府は農業の生産性を高めるため、公的資金を使い農地を集約する制度を創設する検討に入った」というニュースを目にしました。

耕作放棄地がどんどん増えていく状況をなんとかしなくてはならないと、それら遊休農地の利用権を公的機関が買い取って、農業の分野に株式会社などがもっと参入しやすくなるようにという仕組みをつくるのだそうです。

これってなんだか変だな・・・・と思いました。

戦前、日本では広大な土地を所有していた大地主に小作人が雇用されるかたちで農業が営まれていました。小作人は年貢というかたちで小作料を地主に払っていたわけですが、その過重な取りたてに耐えかねて百姓一揆がおこったことは歴史の教科書で学んだことです。ところが敗戦後、天皇制による国家主義体制から民主主義による新生日本を形づくっていくなかで取り組まれたのが農地改革です。

すなわち土地を持たなかった小作人に、土地を持たせる自作農家の創設です。まずはその村に居住していない地主、いわゆる不在地主が所有する全ての貸付地を安く国が買い上げてしまいます(その村に住む在村地主の場合には、貸付地のうち内地では1町歩、北海道では4町歩までの土地の保有を認め、それ以外のすべての貸付地)そして小作料の物納(収穫した農産物による支払い)を禁止し、すべて金納(通貨による支払い)にするというものです。

この農地改革によって、1951年現在で1,987,000ヘクタールの農地を国が地主から買い上げて、土地を耕していた小作人に売り渡しました。その結果、何百年も続いてきた農村の地主、小作制度は完全に崩壊し、自作農の数は農地改革以前の284万戸から541万戸へと飛躍的に増加しました。それだけでなく、農民が自分の土地をもつことができたということで、生産量も飛躍的に増加したのです。敗戦当時、日本は極度の食糧難で自給率もきわめて低い状況でしたが、自作農になった農民の努力によって1960年には自給率80%にもなりました。

ところが同年、所得倍増計画のかけごえのもとに日本政府は工業立国を目指し、事実上、農業を切り捨てていく路線を選択したのです(2月17日のエントリー「カンボジア〜15」にも書きました)それから今日にいたるまで農業は見放されたままです。その結果が今日の農業の現実そのものです。すなわち就業人口の高齢化、後継者不足です。当然のことですが農地は荒廃し、農村そのものがどんどんと姿を消していこうとしています(3月2日のエントリー「限界集落」にも書きました)。

で、けっきょく政府は耕作放棄地の利用権を農民から買い取り、株式会社に農業をやらせようとしているというわけです。だけどこれって農地改革によって耕作地を農民の手に取り戻させたことと逆のことをやろうとすることにならないのかな?大地主から農地を買い取った国が、今度は農民から利用権を買い取って、企業に売り渡すという・・・・!? これっておかしくないかい?

あらゆるものが「美しい日本」というスローガンのもとに戦前回帰していくのと歩調を合わせるかのように、農業の分野でも新たな農地改革?によって農地が大地主(企業)のものになっていくというのは、はたして喜ばしいことなのでしょうか・・・・
by customlegend  at 12:00 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

一年後のことを考えるなら種をまこう

十年後のことを考えるなら木を植えよう

百年後のことを考えるなら人を教育しよう


              中国の言い伝え
by customlegend  at 22:44 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

日本環境経営大賞受賞

「日本環境経営大賞」というのがあるんだそうです。三重県が主催及び事務局となり、環境省・経済産業省・新聞各社・大手放送会社が後援となっているそうです。なんで三重県が主催なのに「日本」なんて言っちゃってるのかよくわかりませんが、言ったもん勝ちなんでしょうか・・・・?

さてこの日本環境経営大賞は、優れた環境経営の取り組みや、将来の先駆けとなる特徴的な取り組みをしている企業や団体を表彰するもので、「環境経営部門」と「環境価値創造部門」の2つがあります。2002年に創設されて今回が第5回目のようです。

ところでこの日本環境経営大賞の「環境価値創造部門」の<環境プロジェクト賞>を愛農学園農業高等学校が受賞したんだそうです。2005年に朝日新聞による「明日への環境賞」をいただいたところですが、地道な歩みがこうして世の中に評価していただけるということはありがたいことです。
by customlegend  at 22:39 |  その他 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

自給と健康

昨日の夜きて話をしてくれたのは岩手県で自給自足的な暮らしをしながらパーマカルチャーを実践しているSさん。でも水田が8反もあるって言ってましたから決して自給自足ではないですよね。さて、そのSさんの話を聞きながら「なるほど、ふむふむ」と思ったことを紹介してみたいと思います。

健康にいいもの、あるいは健康にあまりよくないと言われているものと、自給自足しやすいもの、自給自足しにくいものとを比べてみると、けっこう共通しているようです。しばしば歯の種類から人間が食べるべきもののバランスについて語られることがあります。

人間の永久歯は大きく切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯の4種類に分けることができます。現代人の歯は上下合わせて28本。親知らずを含めると32本あります。切歯は中切歯、側切歯の2種類上下計8本、犬歯は上下計4本。臼歯は計20本です。切歯は雑食動物に多く、犬歯は肉食動物、臼歯は草食動物に多いのです。人間は雑食動物ですから切歯も多いのですが、犬歯と臼歯をくらべてみると人間が食べるべきものは肉の4本に対して野菜や穀物は20本、すなわち1対5の割合で食べるようにと歯が教えてくれているというのです。

ところで健康という点から考えてみるとやはり肉食がすぎると血液がにごって病気になりがちになると言われます。ほかにも健康という観点からあまり摂りすぎないほうがいいと言われているのは砂糖、それに油でしょうか。

さて、この健康という観点から摂りすぎないようにと言われているものと自給とを関連づけてみると、それらはなかなか自給がむずかしいものだということがわかります。たとえば肉・・・・。

肉はとうぜん牛や豚や鶏などの家畜を肥育して太らせてからト畜します。豚や鶏は雑食ですが牛は草食動物です。しかしやわらかくて美味しい肉でないと消費者は買ってくれませんから農家ではトウモロコシなどの穀物を与えます。かなりの量の穀物を彼らは食べてしまいます。牛肉1kg生産するのに11kg、豚肉1kgでは7kg、鶏肉1kgでは4kg、鶏卵1kgには3kgの穀物が必要だと言われています。牛や豚、鶏をどれだけ飼育するかによって違ってきますが、とにかくエサを自給しようと思うとそれはそれは大変なことになります。

砂糖はどうでしょう?まず自給しようなんて考える人がいるかどうかですが、南のほうであればサトウキビ、北のほうであれば砂糖ダイコンということになると思いますが、自給しようと思うと大変です。油はどうでしょうか。油はナタネや大豆、トウモロコシなどから搾るわけですが、もし自給するとなるとかなりの面積でナタネや大豆を栽培しなくてはなりません。いずれにしてもやはり大変です。ナタネはともかく、大豆やトウモロコシは油になんかしないでそのまま食べたほうがいいと思いますが・・・・。

逆に自給しやすいものを考えてみると日本ではなんといっても米ですね。大豆も自給しやすいと言えるでしょう。それから野菜も。自給しやすいものというのは、作りやすさともかなり重なっているのではないでしょうか。しかも健康にもいいのですから一石三鳥ということになります。


というわけで、できるだけ自給自足をしましょう、自給自足をすればおのずと人間は健康になるんだということでした。
by customlegend  at 12:00 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

天真爛漫に・・・

先週の金曜日から愛農大学講座が始まりました。10日間の合宿研修ですからスピードと効率化が求められる現代社会にあってはかなり長期間のスケジュールですが20名もの人が受講してくれています(部分参加も含めてですが)。北は北海道、南は熊本、遠くはブラジルから(留学生ですが)の参加者もいます。この10日のあいだには全国各地からいろんなかたがたが来て講義や実習をしてくれます。

朝は6時から体操をして早朝講話というのがあります。ま、ありがたいお話を聞く時間ということですね。水曜日の朝はとおく福岡から来てくれた牧師さんのお話でした。そのなかで「ふむふむ、なるほど」と思って聞いたところがあったので、うろ覚えですが書いてみようと思います。ちなみにあくまでも私が理解して受け止めた内容です。


(キリスト教の)教会というところは、きわめて抑圧的なところといえるのではないでしょうか。心の中にはいろんな思いがあると思います。それは優越感だったり、劣等感だったり、傲慢だったり、憎しみだったり・・・・。ところが教会ではそういったものを決して顔にはあらわさずいかにも善人であるかのようにふるまい、いかにも良いクリスチャンであるかのようにしていなければなりません。・・・・・

勘違いしないでいただきたいのは、彼は教会批判をしようとして話したのではなく、全体のお話のなかの一部分で上記のようなことを話されたということです。つづいてこのように言われました。

ひるがえって聖書をみてみるとイエスのまわりにいた弟子たちはほんとうに人間くさいというか、天真爛漫というか、ありのままの姿でイエスに対して語りかけ、イエスといっしょに生活していたようです。

私は今いわゆる教会組織というようなものにまったく関わっていないのですが、ときおり聞く教会の話はあまり耳に心地よいものでないことが少なからずあります。教会内部での信者さんどうしの確執だったり、あるいは信者さんと牧師さんの確執だったり、はたまた牧師さんどうしの確執だったり・・・・。偏見にもとづいてあえて言ってしまうと、そういう確執に関わっている人は、信者歴が長い人にあんがい多いのではないでしょうか。

こういった教会内部のごたごたは、一般の世の中の組織とほとんど変わらないものだったりします。しかし表面的にはそういうものを決して出そうとしません。つまり抑圧してしまうんですね。もしかしたら一般の世の中の組織のように、人間の醜さをあからさまに表出してしまったほうがスッキリしていいのかもしれません。しかし教会ではそれをしないんですね。いや、できないというべきでしょうか。もししてしまったら教会では居場所を失うからです。

教会そのものが病んでしまっているのかもしれません。社会で疲れて、家庭で疲れて、人間関係で疲れて、「あぁ、ここにこそ本当の安らぎがありそうだ」と教会の門をたたいてはみたものの、「なんだ、やっぱりここもいっしょか…」とがっかりして去っていく人もいることでしょう。あるいは入門して信者さんになってはみたものの、最初のうちは天国のように見えた教会がだんだん年月を経るうちに色あせて見えてきて、ふたたび教会の人間関係で傷ついて去っていく人もいるんじゃないでしょうか。

まぁ、そうやって考えてみると、美辞麗句をならべる教会も決して美しいばかりではないということですよね。ところがそういうふうに言うと、「教会は善人の集まりじゃなくって罪人の集まりだから…」という反応がおそらく返ってくるんです。それならそれで、ほんとうに罪人の集まりに徹したらいいのにと思うんだよね。ところがその罪人が罪を押し隠して善人のように振る舞うから、ほんらい解放されるべき教会が抑圧された場所になってしまうじゃないのかな?

イエスの弟子たちみたいに教会がもっと天真爛漫に振る舞うことができる場所になったらいいのにね。
by customlegend  at 13:45 |  宗教・哲学・思想 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

病気というもんは自然の法則からはずれた生活をしたらあかんぞという天からの警告です

                                       甲田光雄
by customlegend  at 14:24 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

花粉症でお悩みのかた・・・

エゴマ油

今回のエントリーはきちんとした実験などの裏付けをとったうえでのものではないことをあらかじめご承知のうえでお読みください。

私の妻は10年ほど前から花粉症に悩まされています。それまで北海道にいましたから、花粉症に悩まされてなかったんですね。というのは、花粉症の多くがスギやヒノキを中心とした針葉樹の花粉にアレルギー反応を示すわけですが、北海道では函館あたりにスギが少しあるくらいで、以北にはほとんどないので花粉症に悩まされることがなかったんだと思うのです。(ただし北海道にはシラカバ花粉症ってのがあるらしい・・・・)

念のために書いておかなくちゃいけないのは、北海道に移住する15年ほど前までは愛知県に住んでいましたがそのときは花粉症ではありませんでした。北海道から三重県に引っ越したときにおそらく何かのキッカケがあって花粉症になったのでしょう。たまたまなのかもしれませんし・・・・。

さてこの10年間、花粉症に悩まされながらなんとかして症状を軽減させたいといろいろ試してきてたようです。そのなかで最もその効果を体感しているのがエゴマ油だそうです。彼女が言うには即効性があるらしいんです。くしゃみ、鼻づまり、目のかゆみ、頭痛など、症状がひどいときにスプーン一杯でも服むと症状がスゥ〜っと軽くなるらしいんです。

ちなみに、3人の息子たちのうち次男がやはり花粉症に悩まされているんですが、彼はこれまでどんなに勧めても口にすることがなかったんです。エゴマ油の独特のニオイがあまり好きでないという理由で・・・・(私は好きですけど)。ところがこのあいだ母親の再三の説得に折れて服んでみたら・・・・「これ、効くわ・・・・」と。やはり彼もすぐに症状が軽くなったらしいんです。

年によって花粉の飛ぶ量がちがいますからその症状も年ごとにちがうそうですが、「来年は多そうだ」という予報を聞くと、年末あたりからエゴマ油を少しずつなめ始めるようです。そうすると翌春の花粉症の症状がかなり抑えられると言っています。即効性もあるけれども、やはり2、3ヶ月前からからだを準備しておくといいようです。

さてさて、これはあくまでも個人的な経験について書いたものです。厚労省が認可した薬のように効果を保証するものではありません。ですから、薬事法違反にならないように「花粉症でお悩みのかた・・・・」というタイトルにいたしました。もしかしたら服んでみてもぜんぜん効果がなかったという人もいるかもしれません。そのへんはちゃんと理解しておいてくださいね。

余談ですが・・・・

3月8日に「エセ科学?」というタイトルでエントリーしましたが、もしかしたらその類かもしれません。でも試してみてぜんぜん効果がなかったらやめればいいし、たとえ効果がなくても決してからだに悪いものではありませんから損はしないと思います。費用対効果の問題はあるかもしれませんが・・・・。

ちなみにわたし、えごま油で商売をするつもりはまったくありませんが、もし手に入れたいという人がいらっしゃったら紹介をすることはできます。もしよろしければ・・・・。
by customlegend  at 12:45 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

農作物は大自然が「つくってくれる」ものであり、

これは「つくる」作業でも「とる」作業でもなく、

「いただく」作業、正しくは「いただく作法」である。


                    梁瀬義亮
by customlegend  at 23:31 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

ほんとうに有機農業って環境にいいの?

先週、ある有機農家さんのところに行きました。彼は50そこそこ・・・・専業農家として活躍しています。有機農家というと、「ひたすら働いて、でもなかなか儲からない」というイメージが強いように思いますが、そのかたはハウス栽培と露地栽培をおよそ半々に、全体では1haほどの規模。かなり儲けてるみたいです(あくまでもわたしの憶測です)。あ、有機農家のなかでは・・・・と言った方がいいかもしれませんが。

彼はこんな話をしてくれました。

有機栽培がいいっていうけど、いったい慣行栽培(いわゆる化学肥料も農薬も使う一般的な栽培)とくらべてどうなんだろ?いま企業がいやおうなしに取り組まなくてはならない課題は二酸化炭素の排出量でしょ。それを農業の世界にも取り入れてみたらどうだろ?

いくら有機農業でも二酸化炭素を排出しなければ成り立たないよね。たとえばトラクターに乗らなくちゃ畑を耕すことができないし、田植機、コンバイン、み〜んな化石燃料を使って二酸化炭素を出してる。

農業生産にともなって排出する二酸化炭素量を慣行栽培と有機栽培と単純に比較するんじゃなくって、生産量当たりで考えてみると、もしかしたら有機栽培のほうがたくさん排出してるかもしれないよ。だってね、慣行栽培と有機栽培の生産量を考えると、慣行栽培を100として、有機栽培はどれくらいだと思う?よく見積もって80%、悪いと50%くらいのときもあるかも?そうすると、二酸化炭素の排出量を生産量で除すると、もしかしたら慣行栽培のほうが少ないかもしれないよ。


有機栽培と慣行栽培と比較して、有機栽培にあって慣行栽培にないもの、有機栽培になくて慣行栽培にあるもの、どちらも共通して使うものを考えてみました。共通してるものがけっこう多い。トラクターなんかの農業機械はどちらも同じように使います。ビニールハウスやポリマルチなどのプラスチック類もどちらも同じように使います。いや、もしかしたらこれは有機栽培のほうが雑草を抑えるためにたくさん使ってるかもしれません。

もちろん農薬・化学肥料は基本的には有機栽培では使いません。しかし、それを二酸化炭素排出量に換算したらどれくらいの違いがあるのでしょうか。

農薬・化学肥料を善だとは思わないけど、もし必要悪とするとして、いったい慣行栽培は農薬・化学肥料を使ってどれだけ二酸化炭素を排出しているのでしょう。いったい有機栽培は農薬・化学肥料を使わないでどれだけ二酸化炭素を抑制しているのでしょう。有機栽培してると、ややもすると農薬と化学肥料を使ってないぞっ、っていうだけで自己満足に陥ってしまわないでしょうか。

先週うかがった有機農家さんは自己満足してませんでした。自分のしている農業でどれだけ二酸化炭素を排出しているかを算出するようにしているとおっしゃってました。もし有機農業が環境にいいって言うんだったら、「有機農業はこんなに二酸化炭素を抑制してるんですよ、環境にいいことしてるんですよっ」って消費者のかたにお伝えしたいんですと。

まったく脱帽でした。
by customlegend  at 23:23 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

老子 第81章

真実味のある言葉は美しくなく、美しい言葉には真実味がない。

本当に立派な人間は口が達者でなく、口の達者な人間はほんものでない。

本当の知者は物知りではなく、物知りは本当には分かっていない。

無為の聖人は貯めこまない。なにもかも他人のために出してしまうが、
己の所有はいよいよ増し、何もかも他人に与えて、己はいよいよ豊かである。

天の道は万物に恵みを与えて害を加えず、聖人の道は事を行って人と争わない。


このことばを読んで、安倍首相のことばが何故うさんくさく聞こえてしまうかわかったような気がしました。彼が「美しい」ということばを連発すればするほど「美しさ」からほど遠く見えてしまいます。安倍首相に老子第81章を贈ってあげたいと思いました。
by customlegend  at 00:10 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

原産地

tee

お茶の生産量日本一はなんといっても静岡。二番目はというと意外に思われるかもしれませんが鹿児島県。そして三番目が三重県です。静岡は「静岡茶」といいますが、鹿児島はあまり「鹿児島茶」とは言わないようです。三重県は「伊勢茶」。そして京都は「宇治茶」と言います。

ところで、じゃぁ「伊勢茶」はどこの地域をさして伊勢茶と言っているのでしょうか。聞くところによると、水沢(すいざわ/四日市)、鈴鹿、亀山、飯南、度会(わたらい)、そして伊賀もはいるらしい。とりあえず三重県産のお茶はみんな「伊勢茶」になるそうだ。

「宇治茶」はというともっと広くて京都はもちろんのこと奈良県産、滋賀県産、三重県産のお茶も「宇治茶」って言えちゃうんだって。なんでも宇治茶のうち京都府産のものは4分の1で、4分の3はそうじゃないらしい。
じつをいうとお茶の世界ではこれまで最終仕上げされた場所の名前が銘柄として使われていました。たとえば鹿児島で栽培されたお茶でも、最終的に静岡県で仕上げられると「静岡茶」になるし、もしかして海外からのものも「静岡茶」になっていたかもしれません。

ところが今から3年前、業界基準を決めて「○○茶」と表示するには「地元産の荒茶を100%使用したもの」との統一基準としました。つまり「静岡茶」と表示するには100%静岡県産のお茶でないとしたのです。しかしそれに反対したのが京都勢。上に書いたように「京都、奈良、滋賀、三重の4府県産茶で、府内業者が府内で仕上げ加工をしたもの」との独自基準を設けたものだから、静岡勢はえらく怒ったらしいんです。

業界の統一基準があるものの、どうも2つの表示方法が混在しているのが現状のようだ。かたや食品の表示基準を決めているJAS法ではどうなっているかというとようやく去年の10月から原産地表示が義務づけられました。といってもじつは義務づけられたのは原産国までなので、○○県産となると任意の表示になっています。

話は変わって産地といえば「松阪牛」。BSEの問題や産地偽装問題をうけて2002年にそれまであいまいだった「松阪牛」と呼ぶことのできる範囲を決めました。すなわち雲出川以南、宮川以北の22市町村で(市町村合併前の数字)、500日以上この地域で肥育されたものを松阪牛と呼ぶことができると地域基準を決めたのでした。

それで困ったのがその地域からもれた畜産農家。ついこのあいだまで松阪牛として出荷していたのに線引きされてしまったために松阪牛と銘打つことができなくなってしまったのでした(もし牛舎が市町村界上にあったらどうなるんでしょう?)。これもまた極端な話だとは思うのですが、消費者からの信頼性という点ではかなり先駆的な取り組みだったのではないでしょうか。

いずれにしても原産地表示はなかなかむずかしい問題があるようです。とくに業界の関係者の利益がからんだときには。しかしどんな場合でも消費者の利益を最大限に考えていくのでなければ、けっきょくのところ消費者からそっぽを向かれてしまうものになってしまうのではないでしょうか。

ちなみに「松阪牛」は「まつさかうし」が正しい読み方。焼肉が大好きなあなた、まちがっても「まつさかぎゅう」なんて呼ばないようにね。
by customlegend  at 23:54 |  農・食・環境 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

科学の真理と発見が、

欲望の手先になってしまった状態をまず改めねばなりません。


                 マハトマ・ガンジー
by customlegend  at 01:57 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

エセ科学?

いやはや、さて、どう考えたらいいんでしょうね。

昨年12月25日のエントリー「エコモノ その1」で携帯電話の電池の寿命を延ばしてくれるすぐれもの(らしい)e-more の紹介をしたのですが、それについてお二方がコメント欄に意見をくださっています。

わたしのエントリーに対して206さんが「どう見てもインチキです」と注意を促してくれました。

なるほど、なるほど、いや、これはだまされるところだったと正直おもったのですが、そのあとに装着者さんがコメントを寄せてくださいました。装着者さんは実際に装着されて「その効果を体感している」というのです。

そのコメントをいただいてわたしは、たかが1000円だからダメでもともと、試してみようかしらん・・・・というレスをしたのですが、ふたたび206さんがコメントくださいました。206さんは「Wandering Wanderer: 無批判の恐怖」のサイトを引用(リンク)してうさんくさい業者にだまされないでくださいねと、またありがたいおことば。

もしさらに、実際に装着されて「だまされたぁ〜」って人がコメントしてくれたらいいのに・・・・と思っていますが、もしそういう人がいたとしたらまさに三者三様ということになります。

なんだかコメントをいただくたびにあっちにフラフラこっちにフラフラしている自分の節操のなさに、正直はずかしく思います。さてこれをどう整理したらいいんでしょう。

206さんが引用されたWandering Wandererさんのブログの2007年2月11日のエントリー「無批判の恐怖」ではこの e-more について「これは一見科学的であるかのように装って、騙して売ろうという魂胆が透けて見える。まさに似非科学もいいところ」と言い切っています。ふむふむ、似非科学(エセ科学と読みます)ですか、これまた手厳しい。

ところでエセ科学って何なんでしょう?そしてエセでない科学とは何なんでしょう?wikipedia で似非科学を検索すると疑似科学として説明されています。詳しく知りたいというかたはぜひ見てみてください。またググってもたくさん出てきます。

さて wikipedia によると「科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たしていないものを言う」ということですが、では擬似科学と「正しい」科学の境界線はどこにあるのかというと、「ウィーン学団は(中略)『存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した』と説明しています。

なんのこっちゃ、それじゃわれわれ庶民は何を科学として信じたらええの?ってことになりゃしませんか?ちなみに、疑似科学と見なされることが多いものとして以下のものが挙げられていました。以下列記しますね。

血液サラサラ、皮膚呼吸、波動(水からの伝言)、ダウジング、ピラミッドパワー、フォトンベルト、タキオン、トルマリンの効用、ゲルマニウムの効用、マイナスイオン(空気のビタミン)、酸性食品とアルカリ性食品、活性水素、超軽水、高濃度酸素水(酸素入り水)、にがり健康法、優生学、サイ科学、精神分析学、古代宇宙飛行士説、ホメオパシー、創造論(創造科学)、社会進化論、偽言語比較論-日本語論、産み分け、コラーゲンを用いた健康食品。
さてどんなもんでしょう?みなさんだまされていませんか?(なんちゃって…)

最近、ゴア元副大統領の「不都合な真実」の映画が好評を博していますが、そこでは地球温暖化によって世界の海面が6メートル上昇し、低地にあるフロリダやオランダや上海が洪水に見舞われると警告しています。ところが、それすらエセ科学だという論調もあります。→http://tanakanews.com/070220warming.htm さて、真相やいかに?

またこの「科学」というものは無条件に真理であるわけではなく、何らかの前提の上に成立していることを考えるとまた問題は複雑になってきます。すなわち立場を異にしてしまうと、同じ現象がまったく異なって見えてきてしまうということもあるのです。ときにその立場とは思想とか哲学とかはたまた宗教や信仰ということがありますから、そうなってくるともっとややこしくなります。

なんと私は聖書の創世記にでてくるノアの洪水のできごとを神話としてではなく、歴史的な事実であったと信じる創造科学の立場に立っているので、進化論の立場に立つ人から見たら、とんでもないことを真面目に考えている頭のおかしい人間のひとりでもあります。(笑ってください…)

そろそろオチをつけないといけませんね。さてさて、わたしのような浅学非才な者がエセ科学とエセでない科学に決着をつけようなどと、そんな大それたことは考えておりません。ただこの e-more についていえば、実際に装着して使った経験から「その効果を体感している」という装着者さんの経験を科学的にあるいは論理的に否定することはできません。その体験がどのようなものであれ、体験してしまっているということを他人がとやかく言うことはできません。だから「効果がある」は少なくとも装着者さんにとっては事実です。

逆に、もし実際に装着して「ぜんぜん効果がなかった」という人がいたとしたら、それもまた真実なのでしょう。その人にとっては少なくとも「効果がない」は事実です。

問題は疑似科学を用いる人のなかには悪意でやっている人もいるということでしょう。つまり、自分で説いている説明が科学的でないことを承知のうえで非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている・・・・つまり自分がそれで利益を得ようとしている人もいるだろうということです。逆に、自らも信じており、それが非科学的とは思っていないほんとうに善意の人もいるということも理解しておかないといけないと思います。

ところで e-more はどっちでしょうね。Wandering Wanderer さんによると、悪意が見え隠れしているのではないかという指摘なんじゃないかと思うのです。たとえば「製品名とパッケージと会社名だけ入れ替えて」いるだけじゃないかとか、「2005年に公正取引委員会から景品表示法違反の疑いで注意されたことに、何の反省もないとんでもない会社」ということですね。

さてと、あとはこれらを総合的に評価して、自分はどう判断するか・・・・ということですね。

それにしても、エセ科学のなかにはなぜか魅力的に見えるものが多いのは何故なんでしょう・・・・汗
by customlegend  at 01:48 |  宗教・哲学・思想 |  comment (2)  |  trackback (1)  |  page top ↑

人はその糧を肉体労働、

つまり額に汗して働くことによって得るようにつくられているようです。

肉体を維持するための糧は、肉体労働を通して得るべきです。


                 マハトマ・ガンジー
by customlegend  at 00:11 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

最近の作品

door

えと、作品というようなものではないんですが、観音開きの戸をつくりました。

ここは木工所。去年の秋だったか、つぶれた木工所があるということで、その木工所で使われていた木工具を愛農高校がいくつかいただいていたのですが設置する場所がなくて使われずに金工室に置かれていたのでした。

今年にはいって1月の中旬でしたか、私がふだん仕事をしている部屋の窓から見えるところに木工所をつくりはじめました。床はコンクリートの打ちっ放し。柱や屋根、窓、壁はほとんどが再利用品。ただ入り口の扉だけは木工所にふさわしいものをつくりたいとO先生が私にもちかけてきました。自分の仕事をするよりも木工をしているほうが好きな私にとってはうれしい話。

2月にはいってから仕事の合間をみて扉をつくりに行ってました。写真が完成図。自分でもなかなか満足の出来。1級建築士の人も見に来て、ほめていただきました。(^_^;

木工所が稼働し始めたらまた楽しみが増えそうです。
by customlegend  at 00:02 |  お仕事 |  comment (0)  |  trackback (1)  |  page top ↑

何はともあれ わたしたちの畑を 耕さねばなりません

            フランスの哲学者ヴォルテールのことば
by customlegend  at 16:38 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

限界集落

solid

・・・・限界集落とは、集落に生活する住民の半数以上が65歳以上の地域をいう

国土交通省が今年の1月に全国の過疎市町村を調査しました。対象になった62271集落のうち住民の半数以上が以上が65歳以上になっている限界集落が7873集落にもなり、全体の1割を超えていることがわかりました。前回調査した7年前から今回調査までに消滅した集落は191。それらのうち半数以上が高齢化や人口流出などによる自然消滅です。

消滅した集落の跡地は約6割が「荒廃」もしくは「やや荒廃」していて、住民がいなくなったあとの土地の管理が問題になってきています。また今後10年以内に「消滅」もしくは「いずれ消滅」すると思われる集落が2641あり、どんどんと増える傾向にあります。

2月17日のエントリー「カンボジア〜16」で書きましたが、「農村は都会の根っこだ。だから農村が病んだら都市も病む、農村が滅びたら都市も滅びる」のです。農村だけ滅んで都市だけが残るということは決してありません。少子高齢化ももちろん大問題なのですが、農村の荒廃もそれに負けず劣らず大問題であるにもかかわらず、まったく国民的関心にならないのが不思議です。

イエスは砂の上に建てた家と岩の上に建てた家にたとえて人生を何の基盤の上に築き上げるべきかを説いていますが、それを農村の荒廃の問題に借りるとすると、都市がこれまで農村の基盤の上に繁栄を築いてくることができたのは、農村が固い岩としての役割をもっていたからなのです。これから農村が滅んでいくということは固い岩が砂漠化していくようなものですから、都市は砂の上に建てた家のように、洪水がくるとすぐに壊れてしまうことでしょう
by customlegend  at 16:28 |  農・食・環境 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑ <