新緑

かつてわれらの師父たちは乏しいながらかなり楽しく生きてゐた

 そこには芸術も宗教もあった


                宮沢賢治「農民芸術の興隆」
by customlegend  at 20:54 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

日本昭和音楽村

FNmuseum

今日は関ヶ原にお仕事に行ってきました。その道中に日本昭和音楽村という看板を見つけて 「おもしろそうだな・・・・帰りに寄ってみよう」 と思って、帰途たちよってきました。

その村は大垣市上石津町、三重県と岐阜県の県境にある「水嶺湖」の湖畔にありました。なかなかステキなロケーションでした。村の中には(敷地の中には)FN音楽館という建物があり、リストランテとフォーク・ニューミュージック博物館?があって、1960年中頃からのフォークのSPレコードのジャケットやら、フォークギターなどが展示されていました。1970年代、吉田拓郎や井上陽水にお世話になった者としてはなんともノスタルジーを感じさせる展示でした。
by customlegend  at 20:37 |  音楽 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

老子 第75章

人民が飢えるのは、
 支配者がたくさん税金を取り立てるから、そこで飢えるのだ。

人民が治めにくいのは、
 支配者がよけいな作為を弄するから、そこで治めにくいのだ。

人民が死に急ぐのは、
 あまりにも生きようと求めすぎるから、そこで死に急ぐのだ。

生きることにとらわれない者こそ、生命を大事がる者にまさっているのだ。
by customlegend  at 21:49 |  至言 |  comment (1)  |  trackback (0)  |  page top ↑

自然は決してわたしたちをだまさない

 わたしたちは自分で自分をだましているのだ


  ジャン・ジャック・ルソー
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カンボジア 〜18

racket

さて、これはなんでしょう?
子ども用のラケット?

ラケットのようなかたちをしていますが、ラケットではありません。
ラケットのように振り回したりして使いますが、ラケットではありません。

答は・・・・蚊取りラケットです。
蚊取りラケットといってもピンとこないかもしれません。よくお店なんかに青白い光を発しながらときおりバチバチっという音をさせている器具がありますが、あれは電撃殺虫機ですね。飛翔性昆虫が器具にふれると高電圧で死んでしまうというものです。それをラケット型にしたものなんです。

グリップの部分に電池が入るようになっていて(充電できるタイプもある)、ラケットのネットの部分は針金がネット状になっています。そこに電流が流れるようになっていて、蚊などを見つけたらラケットを振り回して蚊を殺してしまうというものです。店頭にならんでいるのを見て手にとってみただけなので実際には使いませんでしたが・・・・東南アジアの蚊はのんびりと飛んでいるので意外に効果的なのだとか。

日本で私は見たことがないのですが、実際はどうなのでしょうか?でももしこんなのが日本に入ってきたら「危険だ」ということですぐに販売中止になってしまうのではないかと思ったのでした。
by customlegend  at 22:04 |  カンボジア |  comment (5)  |  trackback (0)  |  page top ↑

自分の畑を耕す者は食糧に飽き足り、

 むなしいものを追い求める者は貧しさに飽きる。


  箴言28章19節
by customlegend  at 08:24 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜17

seeds

カンボジアの農産物の種がほしいとお願いしたら、プノンペンでいちばん大きいマーケットに連れていってくれました。1坪もないような小さい店舗でしたが、いろんな種が売られていました。しかしパッケージの表示をひとつひとつ見ていくと、中国やタイ、ベトナムからのものが多く、いわゆる地のもの、カンボジアの種はそれほど多くありませんでした。

ひるがえって日本の種の状況はどうかというと、けっこう輸入ものが多いんですよね。ふだんそんなに意識しているわけではないのですが、ときおり種のパッケージの表示を見てみると、デンマークとか、オランダとか、アメリカからというものがけっこうあるんですよね。日本の大手の種メーカーが海外に生産拠点をおいているからなんじゃないかと推察しますが、それにしても日本で栽培されている(国産)農産物でも種は外国産のものがあんがい多いということはあまり知られていないんじゃないでしょうか。

しかし中小の種メーカーさん、地方の特色ある品種を守りつづけて地方でがんばっている採種場もありますから、そういう小さな灯火を守りつづけてほしいと思います。しかし肝心なのは食べてくれる消費者がいて、食べてくれる消費者のために作ってくれる生産者がいてはじめて種メーカーさんも存続できるわけですから、消費者のバックアップがないといけないんですよね。でも消費者にはあまりそういう意識はないんじゃないのかな?むずかしいですね。
by customlegend  at 08:21 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

人は、なくてもすませることができるものの多さに比例して豊かである

  ヘンリー・デビッド・ソロー
by customlegend  at 00:38 |  至言 |  comment (4)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜16

kitchen

カンボジアの農村をあまねくまわったわけではありませんから知ったかぶりしてはいけませんが、おそらくこれがカンボジア農村の一般的な台所だと思います。薪というか柴を燃やして煮炊きしていました。でも、熱効率としてはあまりよくないですよね。

かつて愛農では「改良かまど」を農村に普及していたことがありました。それこそプロパンガスが農村に普及する以前のことです。農家には昔から土間に「おくどさん」というかまどが<でんっ>と鎮座していました。しかし必ずしも熱効率のいいものではなかったことと、煮る・炊くくらいしかできなかったことから熱効率がよく焼くこともできるようなかまどを普及しようとしたのでした。今どきのことばで言うなら和風システムキッチンですね。

しかしプロパンガスが普及するようになって「かまど」は農家の邪魔もの扱いされるようになり、土間が消えて台所ができるようになって、かまどは農家から消えていきました。

3年ほど前でしょうか、三重県勢和村のNさんのお宅に改良愛農かまどが設置されました。ご飯を炊いたり、もち米を蒸かしたり、はてはパンを焼いたり、ピザを焼いたりもできるのです。しかもむっちゃ熱効率がいいものです。最近はスローフードからロハスに流行語が移ってしまったようですが、まさにかまどはスローフードの極地ですね。

その愛農かまどが1月、滋賀県にあるブルーベリーフィールズ紀伊国屋に設置されました。代表の岩田さんが「かまどを造りたいと思ってるの・・・・」という話を聞いて、「それならぜひ愛農かまどを・・・・」とお勧めしたことが実現したのでした。

岩田さんはこれから愛農かまどを少しずつでも造っていきたいと言っていました。そして「かまど基金」を創設してひとつ造るごとに1万円くらいずつ積み立てていきたいと。その話を聞いて、その基金をもとにカンボジアの農村に愛農かまどを造れるといいな・・・・という夢のようなことを考えたのでした。
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大地は一人ひとりの必要を満たすだけのものは与えてくれるが、

  どん欲は満たしてくれない


     マハトマ・ガンジー
by customlegend  at 22:25 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

箴言15章15節〜17節

貧しい人の一生は災いが多いが

 心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。

財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは

 乏しくても主を畏れる方がよい。

肥えた牛を食べて憎み合うよりは

 青菜の食事で愛し合う方がよい。

by customlegend  at 13:38 |  至言 |  comment (3)  |  trackback (0)  |  page top ↑

老子 第8章

水

上善若水 水善利万物而不争・・・・


最上の善は たとえば水のようなものである

水は万物に偉大な恵みを与えるが、万物と争うことはせず、

人々のいやがる低い地をすみかとする

だから自然の道のありかたに近い


「じょうぜん水のごとし」が老子のことばだとは知りませんでした。酒の名前としか・・・・(汗)
じつは新潟の米どころ南魚沼郡にある白瀧酒造の地酒の名前は一文字ちがい「上善如水」ですが、これがまたほんとにスッキリとして飲みやすくまさに水のように飲めてしまうのです。日本酒ファンの人はかならず一度は口にしたことがあるのでは?

あ、でもかんちがいしないでくださいね。老子が言いたいのは決してそんなことじゃないですから・・・・よく味わってその意図するところを汲んでくださいね。
by customlegend  at 11:37 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

神は田園をつくり

 人間は都会をつくる



  イギリスの詩人ウィリアム・クーパーのことば
by customlegend  at 11:20 |  至言 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

至言シリーズ スタート

これまで老子のことばを3回ほど紹介してきましたが、老子だけじゃなく「あ、いいな…」と思ったことばを至言シリーズとしてエントリーしていきたいと思います。
by customlegend  at 11:16 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜15

rural

首都プノンペンを離れて農村地帯につれていってもらいました。カンボジアは純然たる農業国。Wikipediaによると「国土に占める農地面積は21.6%、人口の34%が農業に従事している。生産年齢人口が人口の56%」(2002年時点)ということですが、「地球の歩き方」(2002〜2003版)では「クメール人(カンボジア人)は総人口の9割近くを占めており、クメール人の8割以上は農業に従事している」とあるので、7割以上が農民ということになります。しかし農村からプノンペンなどの都市へどんどん人々が流れ込んできており、都市はスラム化して農業人口は減少しているそうです。おそらくこの傾向はますます進んでいくことでしょう。

ひるがえって日本のことを顧みてみると過去50年間で農業人口はなんと、60%から3%になってしまっています。たった3%ですよ!こんなんでいいんでしょうか?総人口を1億2千万人とすると360万人ですよ。しかもその年齢を見てみると15〜44歳→14%、45〜54歳→12%、55〜64歳→23%、65歳以上→51%です。少子高齢化の問題がさかんに言われますが、農業人口における高齢化はもうどうしようもないところにきています。65歳以上が半分を占めているということは、このまま10年たてばどうなるか、火を見るよりも明らかです。

日本の国が農業をすてて工業化への道を歩み始めることになった転換点は池田勇人が総理大臣に就任した1960年と言えます。所得倍増計画というスローガンのもとに農業は実質、切り捨てられていったのです。そしてカロリーベースで80%あった食料自給率はその半分の40%になり、82%あった穀物自給率は28%になりました。工業製品を輸出してもうけて、食料は輸入すればよいという政策をつづけてきたからですが、こうした考え方が農業を滅ぼし、農村を壊滅させていったのです。

小谷純一氏は「農村は都会の根っこだ。だから農村が病んだら都市も病む、農村が滅びたら都市も滅びる」と言いましたが、まさに至言だと思います。植物というものは目に見える部分と見えていない土の中の部分は半分半分だと言います。つまり地上部の背の高さが5mあったら土中にも5mの根っこがあるというわけです。そして地上部が葉を茂らせ、花を咲かせ、実をみのらせるのは根があるからであって、根のない植物というものはありません。もし根がなくなったら早晩その植物は枯れてしまいます。たとえしばらくは繁茂しているように見えても必ず枯死してしまいます。

いま日本の農村が滅んでしまおうとしています。都市は今しばらくは繁栄しているかのように見えるかもしれません。しかし必ず滅んでいくことでしょう。根のない植物が枯れてしまうように、農村という根のない都市は滅んでいくからです。

はたしてカンボジアはこれからどのようになっていくのでしょう。今カンボジアの経済は飛躍的な勢いで伸びていっているそうです。カンボジア政府発表の数字によると2005年の経済成長率はなんと13%ですよ(真偽のほどは?)。日本の高度経済成長期といわれた1955年からの20年間の経済成長率が年平均10%であり驚異的といわれた数字を上まわっているんですよ。先進諸国の経済援助があっての数字だということですが、それにしてもすごい数字です。

ポル・ポト時代という不幸な歴史からカンボジアはようやく立ち直って繁栄しつつあるように見えますが、けっして日本のようになってほしくない、農村と農民、農業をたいせつにする国でありつづけてほしいと思ったのでした。
by customlegend  at 11:02 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜14

wedding

カンボジアの結婚式

カンボジアの結婚式は一大イベント。全財産をつぎこむ勢いだそうです。日本でいうと名古屋式ってところでしょうか。朝7時ごろから夜中まで延々とつづきます。しかも爆音つき。爆音というのは音楽なんですが、カラオケみたいなのを大音量で流しまくります。「あんたらの耳は壊れとるんかいっ!」って言いたくなります。写真はちょうど新婚カップルがお色直しで中座しているところ。というわけで正面に座っているのは両家の両親。所狭しとお祝いの品々がならんでいます。結婚式を見に行ったのはちょうど8時ごろで、この部屋のとなりでは結婚式に参加している数十人の人たちがおかゆをいただいていました。
by customlegend  at 08:11 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

老子 第33章

他人を知るものは智者であるが

 己を知るものは明者である

他人に勝つものは力をもつが

 己に勝つものは真の強者である

己に足ることを知るものは富み

 道に努め励むものは向上心をもつ

己にふさわしいあり方を失わぬものは永つづきし

 死んでも朽ち果てないのを永遠に生きるという
by customlegend  at 19:28 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

美しい国の正体

昨日は「建国記念の日」だった。しかしもう多くの人々が、かつて2月11日を紀元節として祝っていたことなど忘れたか、知らないでいるのだろう。

敗戦後、日本の国はアメリカ占領軍の指導のもととはいえ、二度と天皇制に基づく軍国主義に戻らないようにと民主主義の国家へと生まれ変わった。とうぜん国家神道体制は崩され天皇は人間宣言をしたのだった。

しかし戦前の国家体制が大好きな、「天皇を中心とした神の国」日本を再興させたい右寄りの政治家たちは何とかして日本の国を<元>に戻すべく画策するのだった。その最終目標は天皇制国家なのだろうが、そこへもっていくためにはステップバイステップが必要だと考えた。そのステップの第一歩が紀元節の復活だったのだ。

その紀元節復活ののろしがあげられたのは朝鮮戦争が1950年に始まった直後からだ。しかし国会に上程するも1952年、1956年、1957年、1957年末、1961年、1965年、1966年とずっと廃案になってきた。社会党はじめ野党の反発が大きく、成立にまでいたらなかったのだ。ところが1967年、自民党お得意の強行採決で復活することになった。1968年の明治維新100年になんとかして間に合わせるために。

もちろん本音では「紀元節」にしたかったんだと思う。しかし「紀元節」などという名前になんかできるわけがない。そんなことしたら天皇制復活ののろしだとして、とうてい受け入れられなかっただろう。だから「建国記念日」と名前を変えて自民党は国会に上程していた。

じつは…建国記念日をいつにするかということについては当時いろいろと議論があったようだ。たとえば8月15日…すなわち新生日本が誕生した敗戦の日を建国記念日にしようという声も当時はけっこう多かったという。しかし「天皇を中心とした神の国」を再興しようとする勢力には敗戦という屈辱の日を建国記念日にするなどということはとても受け入れられるものではない。

ところが2月11日がほんとうに日本の建国の日かというと、じつは神話に基づく天皇制国家日本誕生の日として明治政府が作り上げたものであり、学問的には決して受け入れられるものではない。だから民主主義国家の建国を祝う日としてふさわしいものではないと野党は自民党勢力に抵抗してきたのだが、しょせん政治は数の力がものをいう。

そこで紀元節復活に反対してきた人たちは、建国記念日を2月11日だけにはしたくないと考え、たとえ2月11日にするとしても「建国記念日」にだけはすべきではないとして、「建国記念」と「日」のあいだに「の」がかろうじて挿入されたのだ。

さて、天皇を中心とした神の国日本再興にむけて着実にステップを進めてきた。その足取りの大きなものを見てみよう。

1967年の紀元節復活(建国記念の日)
1978年の元号法
1999年の国旗国歌法
2006年の教育基本法改悪

これらの背後にはもっともっと多くのできごとがあるけれどもとりあえずここではこれだけにしておこう。あと残されているのは靖国神社国家護持と日本国憲法改悪だろう。前者は韓国や中国などの反発が強いことからしばらくは手を付けられないと思うが、日本国憲法改悪はもはや時間の問題といえよう。もはやこの大きな流れに抗することはできないのだろうか・・・

かつて森元首相はうっかり本音をもらし「日本の国はまさに天皇を中心とする神の国であるということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてきた」と発言して物議をかもしたが、安倍首相はそれを「美しい国」と表現しているだけで、なんらその中身は変わりがない。しかし多くの人が「美しい」という形容詞にだまされているとしか思えない。こんなことでいいのだろうか。
by customlegend  at 11:53 |  政治・経済 |  comment (2)  |  trackback (1)  |  page top ↑

老子 第17章

国民を治める支配者というものは

国民がただその存在を知っているだけというのが最上

国民が親しみを感じたり誉めそやしたりするのはまあまあ

支配者をこわがる政治は、それよりも程度が低く

国民が侮るようになったら最低だ


さて、安倍ちゃんはどのレベルだ?
by customlegend  at 18:23 |  至言 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜13

suki_soup

さてこれは何でしょう?

答は「スキヤキ」です。

「え〜っ!こんなのスキヤキじゃないよぉ〜」と日本人なら必ず言うでしょう。ところが当地ではこれがスキヤキらしいのです。スキヤキというのは正確じゃないな・・・・suki-soupと言ったほうがいいのかな。カンボジアではかなりはやっているらしく、ぼくらが行った店もほとんど満杯になっていました。

日本人は鍋と思って食べましょう。そしてカンボジア人が日本に来たら、ほんとのスキヤキを食べさせてあげましょう。(^.^)
by customlegend  at 18:11 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜12

children

この木の名前はわかりませんが、プノンペン市内には街路樹みたいにあちこちにありました。背がそんなに高くならないので子どもたちの絶好の遊び道具になっていました。カンボジアの子どもたちを見ていると<屈託がない>の一言でしょうか。日本の子どもたちよりも幸せそうに見えたのは気のせいかな?
by customlegend  at 18:00 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜11

coffin

このりっぱな輝くものは、じつは棺桶。王さま用の棺桶なんだって。思わずパチリと撮ってしまいましたが、博物館内では撮影禁止だとあとでたしなめられました。(^_^;
by customlegend  at 17:56 |  カンボジア |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜10

museum

国立博物館

王宮のすぐそばにある国立博物館に行きました。今回の旅行にはアンコール・ワットの見学がないので博物館は必須でした。もちろんアンコール・ワットの迫力にはかなわないのでしょうが少しでもカンボジアの文化に触れたいと思ったのでした。

博物館の中に展示されているもののほとんどが石像のたぐいで、だれの説明もなく見ていたらぜんぜんつまらなかったと思うのですが、博物館に常駐している唯一日本語ができる学芸員(みたいな人?)にお願いをして案内してもらいました。

ヒンドゥー教の影響、仏教の影響、両者の混交、そしてそれらの像への影響などを説明してもらって、少〜しだけ理解することができたような気がしました。不思議に思ったのは「木像」がきわめて少ないということでした。日本の仏像の多くが木像であるのはとうぜんでしょうが、カンボジアにだって木がないわけではありません。それなのに木像が少ないのはどうしてなのでしょう。これは課題にしておきたいと思います。

そう、写真は博物館なんですが、博物館だけでなくカンボジア王宮、そしてタイの王宮もですが、屋根の端っこにヒゲみたいなのがニョキニョキって伸びてますよね。これって象の鼻かな?なんて思ってみてたんですが、ヘビなんですって。もちろんヘビの尻尾のほうね。

へびは大地の神さまで、雨乞いをするときの神さまでもあるんだって。ついでに、屋根の瓦(かわら)の模様はへびの肌をあらわしてるんだってさ。そういえば日本の古来の宗教でもへびはよく神さまになってますよね。へびを悪魔のように見るのはキリスト教だけなのかな?
by customlegend  at 17:52 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜9

torture-2

拷問の道具
この箱には水が張られ、底にある足かせに足を固定し、両側のふちに手を固定して水責めをする。
by customlegend  at 17:21 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜8

torture-1

拷問の道具
さかさにつり下げて、下にあるつぼに頭をつける。つぼの中には何が入っていたのか記憶にない。水だったのかあるいは汚物だったのか・・・・
by customlegend  at 17:18 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

カンボジア 〜7

Toul_Sleng

カンボジアといえばまずアンコールワット。そしてその次がこのトゥール・スレインでしょう。決して訪ねて楽しいというところではありません。いやむしろできれば避けて通りたいというところではありますが避けて通るわけにはいきません。

ここは「虐殺博物館」。もともと高校の校舎だったものをポル・ポト時代に収容所として使われたところです。ポル・ポトが分からない人のために少しだけ説明をしておきましょう。

ポル・ポトはカンボジアの政治家で、1975年5月から1979年までカンボジアの首相として極端な共産主義思想にもとづいて支配した独裁者です。彼はこう考えました。

都会に住んでいる人間は堕落している。農村で働く者こそ本当の人間だ。だから、都会に住んでいる人たちは、年寄りだろうが病人だろうが、全員むりやり農村に追いやり、農業をさせよう。「こどもたちは国のもの」だから親から引き離して兵隊にしよう。

「知識は人を堕落させる」。だから学校の先生や知識人はみんな殺してしまおう。自分のやり方に反対する人は殺してしまおう。何も考えず、黙々と言われた通りに農村で働く人ばかりにしよう。


えらく極端な考え方ですが、彼はまさにこれをそのまま実行しました。そしてそれに使われたのがこの校舎だったのです。とうぜん学校は空っぽでした。そこに反体制者、革命分子と思われる者をどんどんと送り込み拷問をくわえ、虐殺していったのです。

2年9ヶ月の間に1万4千人〜2万人が収容されたと言われ、そのうち生還できたのはたったの7名だけだったそうです。しかしこの数字はこの収容所で殺された人の数字。ポル・ポト時代に虐殺された人は少なく見積もっても120万人、330万人が殺されたという人もいるようですが、いずれにしてもこんなむごいことが30年前におこなわれていたことに戦慄をおぼえます。
by customlegend  at 20:16 |  カンボジア |  comment (0)  |  trackback (1)  |  page top ↑
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とにかく自分でやれることは何でも自分でやってしまいたい。だから何でも自分でやれるようになるので、人からは器用な人だとうらやましがられるが自己評価は器用貧乏。有機食品の認証業務の仕事をしています。

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