新緑

五榜の掲示

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会津ではSさんを訪ねました。Sさんのお宅は30代つづくこの地域では名家です。その家系図は明治元年の百姓一揆で焼き討ちにあったときに失われてしまったということですが、30代というとたとえば20年ずつ世代が交代していったと考えても600年!\(◎o◎)/!アンビリバボー

現在の家はそのときに建て直されたということですからもう140年もたっています。家の中にあがってみるとなんと太政官高札が掲げられているではありませんか。これは「五榜の掲示」と呼ばれるもので、明治維新後の新政府が発したもの。「五ヶ条の御誓文」が出された慶応4年(明治元年・1868)3月14日の翌日、明治新政府が旧幕府の高札を撤去し、その代わりに立てることを命じたもののひとつです。ここにはこう書かれています。

   定
  一 切支丹宗門の儀は是迄御制禁のとおり通固くあいまもるべきこと可相守事
  一 邪宗門の儀は固く禁止の事

簡単にいえばキリスト教は禁止しますよ・・・・というもの。ところがこの家の当主のSさんはクリスチャン。若いころにキリスト教に出会って信者になったんだそうです。こんな東北の田舎で、30代つづく名家からキリスト教が出るなんて、親はもちろんのこと親戚縁者からそうとう迫害を受けたんじゃないかと想像しますが、お連れ合いさんもクリスチャンで今ではクリスチャンホームになっています。30分ほどで失礼しましたが、またお訪ねしていろいろお話をうかがってみたいなと思いました。
by customlegend  at 09:29 |  宗教・哲学・思想 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

友人葬

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このあいだ実地調査に行く途中こんな立て看板があったので撮ってみました。何が珍しかったかというと立て看板のいちばん上に書いてある「友人葬」というところ。友人葬というものにはこれまで出たことがないので、いったいどんなことをするのかな?と興味深く思ったのでした。
by customlegend  at 20:50 |  宗教・哲学・思想 |  comment (0)  |  trackback (0)  |  page top ↑

天真爛漫に・・・

先週の金曜日から愛農大学講座が始まりました。10日間の合宿研修ですからスピードと効率化が求められる現代社会にあってはかなり長期間のスケジュールですが20名もの人が受講してくれています(部分参加も含めてですが)。北は北海道、南は熊本、遠くはブラジルから(留学生ですが)の参加者もいます。この10日のあいだには全国各地からいろんなかたがたが来て講義や実習をしてくれます。

朝は6時から体操をして早朝講話というのがあります。ま、ありがたいお話を聞く時間ということですね。水曜日の朝はとおく福岡から来てくれた牧師さんのお話でした。そのなかで「ふむふむ、なるほど」と思って聞いたところがあったので、うろ覚えですが書いてみようと思います。ちなみにあくまでも私が理解して受け止めた内容です。


(キリスト教の)教会というところは、きわめて抑圧的なところといえるのではないでしょうか。心の中にはいろんな思いがあると思います。それは優越感だったり、劣等感だったり、傲慢だったり、憎しみだったり・・・・。ところが教会ではそういったものを決して顔にはあらわさずいかにも善人であるかのようにふるまい、いかにも良いクリスチャンであるかのようにしていなければなりません。・・・・・

勘違いしないでいただきたいのは、彼は教会批判をしようとして話したのではなく、全体のお話のなかの一部分で上記のようなことを話されたということです。つづいてこのように言われました。

ひるがえって聖書をみてみるとイエスのまわりにいた弟子たちはほんとうに人間くさいというか、天真爛漫というか、ありのままの姿でイエスに対して語りかけ、イエスといっしょに生活していたようです。

私は今いわゆる教会組織というようなものにまったく関わっていないのですが、ときおり聞く教会の話はあまり耳に心地よいものでないことが少なからずあります。教会内部での信者さんどうしの確執だったり、あるいは信者さんと牧師さんの確執だったり、はたまた牧師さんどうしの確執だったり・・・・。偏見にもとづいてあえて言ってしまうと、そういう確執に関わっている人は、信者歴が長い人にあんがい多いのではないでしょうか。

こういった教会内部のごたごたは、一般の世の中の組織とほとんど変わらないものだったりします。しかし表面的にはそういうものを決して出そうとしません。つまり抑圧してしまうんですね。もしかしたら一般の世の中の組織のように、人間の醜さをあからさまに表出してしまったほうがスッキリしていいのかもしれません。しかし教会ではそれをしないんですね。いや、できないというべきでしょうか。もししてしまったら教会では居場所を失うからです。

教会そのものが病んでしまっているのかもしれません。社会で疲れて、家庭で疲れて、人間関係で疲れて、「あぁ、ここにこそ本当の安らぎがありそうだ」と教会の門をたたいてはみたものの、「なんだ、やっぱりここもいっしょか…」とがっかりして去っていく人もいることでしょう。あるいは入門して信者さんになってはみたものの、最初のうちは天国のように見えた教会がだんだん年月を経るうちに色あせて見えてきて、ふたたび教会の人間関係で傷ついて去っていく人もいるんじゃないでしょうか。

まぁ、そうやって考えてみると、美辞麗句をならべる教会も決して美しいばかりではないということですよね。ところがそういうふうに言うと、「教会は善人の集まりじゃなくって罪人の集まりだから…」という反応がおそらく返ってくるんです。それならそれで、ほんとうに罪人の集まりに徹したらいいのにと思うんだよね。ところがその罪人が罪を押し隠して善人のように振る舞うから、ほんらい解放されるべき教会が抑圧された場所になってしまうじゃないのかな?

イエスの弟子たちみたいに教会がもっと天真爛漫に振る舞うことができる場所になったらいいのにね。
by customlegend  at 13:45 |  宗教・哲学・思想 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑

エセ科学?

いやはや、さて、どう考えたらいいんでしょうね。

昨年12月25日のエントリー「エコモノ その1」で携帯電話の電池の寿命を延ばしてくれるすぐれもの(らしい)e-more の紹介をしたのですが、それについてお二方がコメント欄に意見をくださっています。

わたしのエントリーに対して206さんが「どう見てもインチキです」と注意を促してくれました。

なるほど、なるほど、いや、これはだまされるところだったと正直おもったのですが、そのあとに装着者さんがコメントを寄せてくださいました。装着者さんは実際に装着されて「その効果を体感している」というのです。

そのコメントをいただいてわたしは、たかが1000円だからダメでもともと、試してみようかしらん・・・・というレスをしたのですが、ふたたび206さんがコメントくださいました。206さんは「Wandering Wanderer: 無批判の恐怖」のサイトを引用(リンク)してうさんくさい業者にだまされないでくださいねと、またありがたいおことば。

もしさらに、実際に装着されて「だまされたぁ〜」って人がコメントしてくれたらいいのに・・・・と思っていますが、もしそういう人がいたとしたらまさに三者三様ということになります。

なんだかコメントをいただくたびにあっちにフラフラこっちにフラフラしている自分の節操のなさに、正直はずかしく思います。さてこれをどう整理したらいいんでしょう。

206さんが引用されたWandering Wandererさんのブログの2007年2月11日のエントリー「無批判の恐怖」ではこの e-more について「これは一見科学的であるかのように装って、騙して売ろうという魂胆が透けて見える。まさに似非科学もいいところ」と言い切っています。ふむふむ、似非科学(エセ科学と読みます)ですか、これまた手厳しい。

ところでエセ科学って何なんでしょう?そしてエセでない科学とは何なんでしょう?wikipedia で似非科学を検索すると疑似科学として説明されています。詳しく知りたいというかたはぜひ見てみてください。またググってもたくさん出てきます。

さて wikipedia によると「科学の要件として広く認められている条件(科学的方法)を十分に満たしていないものを言う」ということですが、では擬似科学と「正しい」科学の境界線はどこにあるのかというと、「ウィーン学団は(中略)『存在する全ての科学は「最終的には疑似科学と区別ができない」という結論に達した』と説明しています。

なんのこっちゃ、それじゃわれわれ庶民は何を科学として信じたらええの?ってことになりゃしませんか?ちなみに、疑似科学と見なされることが多いものとして以下のものが挙げられていました。以下列記しますね。

血液サラサラ、皮膚呼吸、波動(水からの伝言)、ダウジング、ピラミッドパワー、フォトンベルト、タキオン、トルマリンの効用、ゲルマニウムの効用、マイナスイオン(空気のビタミン)、酸性食品とアルカリ性食品、活性水素、超軽水、高濃度酸素水(酸素入り水)、にがり健康法、優生学、サイ科学、精神分析学、古代宇宙飛行士説、ホメオパシー、創造論(創造科学)、社会進化論、偽言語比較論-日本語論、産み分け、コラーゲンを用いた健康食品。
さてどんなもんでしょう?みなさんだまされていませんか?(なんちゃって…)

最近、ゴア元副大統領の「不都合な真実」の映画が好評を博していますが、そこでは地球温暖化によって世界の海面が6メートル上昇し、低地にあるフロリダやオランダや上海が洪水に見舞われると警告しています。ところが、それすらエセ科学だという論調もあります。→http://tanakanews.com/070220warming.htm さて、真相やいかに?

またこの「科学」というものは無条件に真理であるわけではなく、何らかの前提の上に成立していることを考えるとまた問題は複雑になってきます。すなわち立場を異にしてしまうと、同じ現象がまったく異なって見えてきてしまうということもあるのです。ときにその立場とは思想とか哲学とかはたまた宗教や信仰ということがありますから、そうなってくるともっとややこしくなります。

なんと私は聖書の創世記にでてくるノアの洪水のできごとを神話としてではなく、歴史的な事実であったと信じる創造科学の立場に立っているので、進化論の立場に立つ人から見たら、とんでもないことを真面目に考えている頭のおかしい人間のひとりでもあります。(笑ってください…)

そろそろオチをつけないといけませんね。さてさて、わたしのような浅学非才な者がエセ科学とエセでない科学に決着をつけようなどと、そんな大それたことは考えておりません。ただこの e-more についていえば、実際に装着して使った経験から「その効果を体感している」という装着者さんの経験を科学的にあるいは論理的に否定することはできません。その体験がどのようなものであれ、体験してしまっているということを他人がとやかく言うことはできません。だから「効果がある」は少なくとも装着者さんにとっては事実です。

逆に、もし実際に装着して「ぜんぜん効果がなかった」という人がいたとしたら、それもまた真実なのでしょう。その人にとっては少なくとも「効果がない」は事実です。

問題は疑似科学を用いる人のなかには悪意でやっている人もいるということでしょう。つまり、自分で説いている説明が科学的でないことを承知のうえで非科学的な説明をして相手に何らかの不利益を与えようとしている・・・・つまり自分がそれで利益を得ようとしている人もいるだろうということです。逆に、自らも信じており、それが非科学的とは思っていないほんとうに善意の人もいるということも理解しておかないといけないと思います。

ところで e-more はどっちでしょうね。Wandering Wanderer さんによると、悪意が見え隠れしているのではないかという指摘なんじゃないかと思うのです。たとえば「製品名とパッケージと会社名だけ入れ替えて」いるだけじゃないかとか、「2005年に公正取引委員会から景品表示法違反の疑いで注意されたことに、何の反省もないとんでもない会社」ということですね。

さてと、あとはこれらを総合的に評価して、自分はどう判断するか・・・・ということですね。

それにしても、エセ科学のなかにはなぜか魅力的に見えるものが多いのは何故なんでしょう・・・・汗
by customlegend  at 01:48 |  宗教・哲学・思想 |  comment (2)  |  trackback (1)  |  page top ↑

新年あけましておめでとうございます

このブログをはじめて6ヶ月すぎて7ヶ月目にはいりました。すこし更新頻度は落ちましたが、まぁなんとか続いているので自分をほめてあげたいと思います。12月の中ごろにKさんと会って話をしていたら、「なんかいつも怒ってるね」みたいなことを言われて、「いや、たしかにそうだ」と思ったのでした。またYさんからは「内容がむずかしくて読むのがたいへん」とも言われておりまして、12月後半はあまり「怒る」のをやめて、ふだんのできごとをエントリーしていました。ま、なにわともあれ、今年もがんばりますのでよろしくお願いいたします。

さて年賀状は100枚くらい出したのですが、今年は「愛農楽土」と真ん中に書きました。ぼくからの年賀状をもらった人でこの四字熟語(もちろんぼくの造語ですが)の意味を分かってくれた人がどれくらいいるかなぁ〜と思って、ここで種明かしをしたいと思います。

「農」を「愛」して「土」を「楽」しむと理解してくれて、それはそれでいいのですが、じつはもう少し深い意味を込めてみました。「愛農」は文字通り「農」を「愛」するなのですが、「楽土」のほうは「土」を「楽」しむではなく、「王道楽土」から引っ張ってきたのです。

「王道楽土」とは戦時中のことばなので、とうぜん戦後教育を受けた人は知らないはずですが、戦時教育を受けてきた人にはよくわかると思います。

ウィキペディアで調べてみると・・・

王道楽土(おうどうらくど)は、1932年、満州国建国の際の理念。 それはアジア的理想国家(楽土)を建設という意味だった。 「五族協和」「王道楽土」と並び称されたが、「五族協和」とは、満蒙漢日朝の五民族が協力し、平和な国造りを行うことだっただが、現実には日本支配をカムフラージュするものだった。

とあります。八紘一宇(天皇を頂点として世界がひとつの家族になる)という精神のもと、アジアを侵略してそこに新しい理想国家を造らせようというスローガンのひとつだったのです。つまり「楽土」とは理想国家という意味です。これにひっかけて「愛農楽土」という造語をつくってみたというわけ。

安倍晋三は「美しい国づくり」と言っていますが、かれが考えている美しい国とはまさに王道楽土なのではないかと思えてなりません。彼のことばの中には天皇という言葉はでてきませんが、彼が進めようとしている教育改革は「滅私奉公」…つまり「個」の尊重から「公」への奉仕への転換であり、これこそまさに八紘一宇の精神であり、王道楽土への道程の一部なのです。

そこで、そんなことになってはならない、ほんとうの美しい国とは何かと考えたところ、「愛農楽土」という言葉に行き着いたというわけです。

美しい国の基本はなんといっても農業を大事にするところから始まると確信します。農こそ人間生活の根底だからです。何よりも農業を大切にすれば必ず美しい国になります。何よりも農民を大切にすれば必ず美しい国になります。何よりも農地を大切にすれば必ず美しい国になります。農を愛することこそ美しい国づくりであり、理想国家の建設になるのではないでしょうか。「愛農楽土」にはそんな思いを込めたのでした。
by customlegend  at 09:13 |  宗教・哲学・思想 |  comment (2)  |  trackback (0)  |  page top ↑
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とにかく自分でやれることは何でも自分でやってしまいたい。だから何でも自分でやれるようになるので、人からは器用な人だとうらやましがられるが自己評価は器用貧乏。有機食品の認証業務の仕事をしています。

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